砲丸投げで活躍され、パリ・パラリンピックでは4大会ぶりに開催された砲丸投げで惜しくもメダルには届きませんでしたが、大健闘を見してくれた斎藤由希子さん。
そんな斎藤さんの障害はどう克服したのか気になりますよね。
また、4大会ぶりのパラリンピックにいたるまでの練習の心構えについても知りたいところです。
そこで今回は、
- 障害をどう克服した?
- パラ出場にいたる練習や心構え
主にこれらについて追っていきます。
それでは早速本題に入りましょう!
障害をどう克服した?
元世界記録保持者の記録12m47を、大学生の時叩き出した実力者の斎藤さん。
そんな斉藤さんですが、障害はどのようにして克服したのでしょうか。
斎藤さんは、上肢障害という障害で生まれつき左腕の肘から先がない状態で生まれてきました。
上肢障害とは、肩から各関節を各関節を含む手指までの範囲で、日常的な動作や細かい作業ができない状態の事。
また、上肢に当てはまる部位に欠損がある状態の事をいいます。
そんな斎藤さんですが、ある競技との出会いをきっかけに障害を克服していきます。
それは砲丸投げとの出会いでした。
斎藤さんと砲丸投げの出会い
左肘から先がなくても全身を使って遠くに砲丸を投げる、そんな斎藤さんの砲丸投げとの出会いとは、どんなエピソードがあったのでしょうか。
斎藤さんが砲丸投げと出会ったのは、中学生の頃。
担任から誘われたのがきっかけだったみたいで、斉藤さんは「チームの仲間に迷惑をかけずに済む」と考え、「片手で取り組める」という事もあって始めたみたいです。
また、砲丸投げと出会ってこのように話しています。
「障害を隠した方がいい」。そんな内向きな幼少期の考え方を変えたのが、陸上砲丸投げとの出合いだった。
出典:毎日新聞
斎藤さんの内向きな考え方を砲丸投げが変えてくれたみたいですね。
砲丸投げと出会って、努力を積み重ね能力はどんどん伸び、健常者の大会でも上位に入るほどの実力をつけていった斎藤さん。
今回のパリ・パラリンピックでは惜しくもメダルには届きませんでしたが、4位という素晴らしい成績を残されています。
パラ出場にいたる練習や心構え
斎藤さんの(上肢障害)クラスが人数が少ない事もあり、パラリンピックの競技の対象から外されていたことで、出場機会がなかった間、どのような練習を行い、どのような心構えで挑まれたのでしょうか。
まずはこちらの動画をご覧ください。
斎藤さんは、パリ・パラリンピックの開催2年前の2022に長女「千遥」さんを出産しており、1児のママとしてパリ・パラリンピックの舞台に挑戦されています。
斎藤さんは出産をおきに、体重が15キロ落ち出産前の練習と比べて、上半身の筋力や、スピード感は戻ったが、下半身の動きが中々もとに戻らず、苦戦されていました。
ですが斎藤さんは、日々のウエイトトレーニングや、メディシンボールを使ったトレーニング、瞬発系を鍛えるトレーニングを行い、パラリンピックに向けて上手く調整されたみたいです。
斎藤さんは、産後で中々コンディションが戻らない中でも、パラリンピックでは4位という素晴らしい成績を出されています。
きっと、斎藤さんは産後だからなどといった言い訳をせず、コツコツと状態を産後の体の状態以上に、目標を立て日々の練習を行っていた可能性が高いと言えますね。
そして、斎藤さんの座右の銘である「笑う門には福来る」。
その言葉通り、斎藤さんは次のような心構えでパラリンピックに挑んだみたいですね。
「笑顔で表彰台に立つ」
出典:福島民友新聞
惜しくも結果は表彰台には届かなかったものの、最後まで笑顔を絶やさず全力を出し切った斎藤さん。
斎藤さんは、決めたことは最後まで貫き通していてかっこいいですよね。
次のパラリンピックでも笑顔を心構えに、斎藤さん自身の体を1番大事に、これからも頑張っていってもらいたいですね。
まとめ
今回は、障害をどう克服した?のかや、パラ出場にいたる練習や心構えについてお伝えしてきました。
斎藤由希子の障害はどう克服したのかについては、斎藤さんは、上肢障害という障害で生まれつき左腕の肘から先がない状態で生まれてきましたが、砲丸投げとの出会いから障害を克服していきました。
斎藤さんは中学の頃、砲丸投げと出会い内向きな幼少期の考え方をいい方向に変えていったのでした。
そして斎藤さんは、砲丸投げに努力を積み重ね能力はどんどん伸び、大学時代には世界記録を更新するまでの実力がつき障害を克服することが出来たみたいですね。
パラ出場にいたる練習や心構えについては、動画で紹介していますが、斉藤さんは、パラリンピックの2年前に長女「千遥」を出産し、1児のママとして練習をすることに。
斎藤さんは出産をおきに、体重が15キロ落ち出産前の練習と比べて、上半身の筋力や、スピード感は戻ったが、下半身の動きが中々もとに戻らず苦戦。
ですが斎藤さんは、日々のウエイトトレーニングや、メディシンボールを使った瞬発系を鍛えるトレーニングを行い、パラリンピックに向けて上手く調整された結果が4位という素晴らしい成績を残されました。
そして、斎藤さんの座右の銘である「笑う門には福来る」。
その言葉通り、「笑顔で表彰台に立つ」を心構えにパラリンピックに挑まれました。
惜しくも結果は表彰台には届かなかったものの、次のパラリンピックでも「笑顔」を心構えに、斎藤さん自身の体を1番大事に、これからも頑張っていってもらいたいですね。
いずれにしても斎藤さんには、これからも砲丸投げ代表としてこれからの日本を引っ張っていってもらいたいですね。
それではありがとうございました!
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