水泳で活躍され、パリ・パラリンピックでは水泳50メートル平泳ぎで、金メダルを獲得するなどの活躍をされている鈴木孝幸さん。
そんな鈴木孝幸さんの生い立ちが壮絶なのか気になりますよね。
また、障害者に生まれて両親に捨てられたのかも知りたいところです。
そこで今回は、
- 鈴木孝幸の生い立ちが壮絶!
主にこれらについて追っていきます。
それでは早速本題に入りましょう!
鈴木孝幸の生い立ちが壮絶!
パリ・パラリンピックで日本人メダル獲得第1号、金メダルに輝いた鈴木孝幸さん。
そんな活躍をされている鈴木さんの生い立ちが壮絶なのは本当なのでしょうか。
障害を持って生まれる
鈴木さんは、1987年1月23日に静岡県浜松市に先天性の四肢欠損症という障害を持って生まれてきました。
先天性の四肢欠損症とは,,,出生時に、四肢の欠損や変形、発育不全がみられる障害の事です。
鈴木さんは生まれつき、右腕はなく、左手は指が3本で右足は根本付近からなく、左足は膝までという重い障害を持って生まれてきました。
両親から捨てられた?
鈴木さんは先程もお伝えしましたが、先天性の四肢欠損症で生まれてきます。
鈴木さんの両親は、鈴木さんが2歳の頃、当時保育園の園長をしていた、後に里親になる小松洋さんの保育園に預けたまま姿を見せることはありませんでした。
現在も、鈴木さんの両親の情報は見つかりません。
鈴木さんは両親に捨てられたのは本当だっだ可能性が高いですね。
里子として育てられる
鈴木さんの里親である小松洋さんは、養子ではなく里子として育てていかれたみたいです。
当時園長をしていた、小松洋さんは保育園を辞め車の免許まで取得し、鈴木さんを育てて行く覚悟でいたみたいです。
また、里親である小松洋さんは鈴木さんを、障害があるからと言って特別扱いをせず、他の子ども達と同じように育ててきたみたいですね。
鈴木さんの里親の小松洋さんの写真がこちら。
見た目から優しそうな方ですよね。
鈴木さんの里親である小松洋さんですが、2022年の12月4日の鈴木さん自身のInstagramで亡くなられた事を明かされています。
それでも鈴木さんは、小松洋さんが亡くなられた半年過ぎたころの、自身のInstagramの投稿にはこのような投稿をされています。
上の投稿のように鈴木さんは水泳の姿で、前向きな言葉を投稿されています。
鈴木さんは2024年のパリ・パラリンピックで日本人第1号となるメダルを、しかも金メダルを獲得されておりまだまだ成長と挑戦は続いていくと思われますね。
水泳を始めたきっかけ
鈴木さんが水泳を始めたきっかけが、「水泳は一番自立芯が養えるスポーツ」という小松洋さんの思いから6歳の頃、水泳を進められ始められたそうです。
水泳と出会った鈴木さんは1度水泳を辞め、中学生の頃には吹奏楽に入られています。
中学時代は吹奏楽部でフレンチホルンに打ち込んだ。
出典:PARIS2024
鈴木さんは、障がいのあるホルン奏者の姿に心を打たれ入部し、音楽に熱中していたそうです。
今でも鈴木さんのInstagramでは、趣味でホルンの楽器と1緒に写っている写真を投稿されています。
その後鈴木さんは、聖隷クリストファー高等学校に進学し、再び水泳に再挑戦されています。
再挑戦した理由が、「自分の身体の可能性をもっと深堀したい」という思いから再び挑むことになったと言います。
パラリンピックでメダルを獲得する
その後鈴木さんが17歳の頃、2004年アテネパラリンピックでは個人種目でメダルを取れなかったものの、団体で2位になり始めてメダルを獲得しています。
勢いに乗った鈴木選手は、困難を乗り越えながらも2008年の北京パラリンオリンピックでは、50メートル平泳ぎで金メダルを獲得するなど数々の実績を残されています。
その後も鈴木さんは、早稲田大学教育学部に進学後も、得意である水泳の能力をどんどん活かします。
また大学を卒業した鈴木さんは、株式会社ゴールドウイン のスピード事業部に勤め会社員として、パラ競泳選手との2刀流を続けられています。
鈴木さんのこれまでの生い立ちは、壮絶の事もありましたがそれに負けないくらいの人生を歩んでいることが分かりますよね。
まとめ
今回は、鈴木孝幸の生い立ちが壮絶!障害者に生まれて両親に捨てられた?についてお伝えしてきました。
鈴木孝幸の生い立ちが壮絶!なのかは、鈴木さんが2歳の頃に、鈴木さんの両親が当時保育園の園長をしていた、小松洋さんの所に預けたまま、姿を見せることはありませんでした。
鈴木さんは両親に捨てられたのは本当だった可能性が高いですよね。
小松洋さんは、里親として鈴木さんを育てて行くために、保育園を辞め車の免許まで取ったみたいです。
鈴木さんが6歳の頃、小松洋さんの進めで水泳を始めますが、中学時代では1度水泳を辞め吹奏楽に入ります。
ですが、高校に上がると「自分の身体の可能性をもっと深堀したい」という思いで再び水泳に再挑戦し、17歳の頃団体で銀メダルを獲得。
その後も鈴木さんは、大学・社会人になっても結果を出し続け37歳にして、5大会で10個目となるメダル獲得をするなどの、競泳界のレジェンドと呼ばれるまでの活躍をされています。
いずれにしても、鈴木孝幸さんには今後も競泳界のレジェンドとして、日本の水泳界・パラリンピックを盛り上げていってくれることに期待したいですね。
それでは、ありがとうございました!
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